Calling 8:50 PM



「1日に10分だけ、9時になるまで電話する」

それが私たちの決め事だった。あまりにも忙しく余裕のない私にとってそれは、唯一彼を心に繋ぎとめていられる大切な約束だった。

気軽に会いに行ける距離ではなくなった。そのことが私を少し楽にさせていたし、苦しめてもいた。集中しなきゃいけないことをやるために、彼がいたら私はすぐに甘えてしまう、楽なほうに流されてしまう。でも心の拠り所が近くになくなってしまったのは、つらかった。

私には決め事がもうひとつあった。「電話をするときは必ず空の見えるところですること」。星の見える日でも雨が降っていても、同じ空が見えていなくても、移り変わる景色を見ながら変わらない気持ちを日々確かめること。そうやって私は、会えない彼への想いを心に留めていた。

私たちの10分はいつももどかしく、それでも充実していた。あれもこれもと欲張って、話したいことは積みあがっていく。もう少し、と引き伸ばすことも出来なくはなかったけれど、私たちは律儀に約束を守り続けた。約束で繋がっている私たちには、それを侵すことは許されなかった。破ってしまったら、見上げている空のように移り変わってしまうのではないかと私は感じていた。

そうしているうちに春夏秋冬、全ての季節をまたいで続いた決め事は、終わりを迎えることになる。私は彼のいる街に行くことが決まった。彼は私を迎えてくれるようだった。私たちは一緒に住むことになった。

最後の電話の日。私は明日彼のもとへ行く。私はいつもと同じ時間に電話を掛ける。彼もいつもと同じタイミングで電話を取る。少し風が強かった。空はいつもより雲を速く流していた。私たちの心は雲のように流れはしなかったし、風が強くてもこの10分はいつもと変わらずかけがえのない10分だった。過ぎていく時間、終わろうとタイミングを計る私たち。わたしは最後に言う言葉を決めていた。私から彼に、繋ぎとめていてくれた彼にとびきりの感謝を。

「私だけの時間をありがとう。」


わたしが参加させていただいたニコニコ動画に上がっている、「オムニバス企画『時間』」の中の1つのテキスト部分です。

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こちらに参加作品がすべてありますので、是非巡ってみてください。すばらしいと思いますよ。

オムニバス企画『時間』参加作品 ‐ ニコニコ動画:GINZA