10代がとらドラ!について感じたことを書いてみた
わたしの頭の中は今、恋愛と人間関係で埋まっています。それは、周りの影響を受けやすいからかもしれないし、わたしの中にずっと残っている思いがくすぶっているのかもしれません。とにかく、今わたしの目に映るものは、すべてコミュニケーションというフィルターを通して取り込まれている、といっても過言ではないはず。
こうなってしまっているのは、きっと今一番注目されているであろうアニメのせいでしょう。
- 作者: 竹宮ゆゆこ,ヤス
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とらドラ!。原作はライトノベルであり、深夜に放送されています。以下に、ライトノベル1巻の解説を引用させていただきます。
桜舞う四月。高校二年。新しいクラス。目つきは悪いが普通の子、高須竜児は、ちっちゃいのに凶暴獰猛、“手乗りタイガー”と恐れられる逢坂大河と出会う。そして彼女の知ってはいけない秘密を知ってしまい―。それが竜虎相食む恋と戦いの幕開けだった!いつもにこにこ、超マイペース娘の櫛枝実乃梨、文武両道、勤勉実直、だけどちょっとずれてるメガネ委員長、北村祐作も絡み、どこか変なメンツによる恋はすんなりいくはずもなく…!?『わたしたちの田村くん』の竹宮ゆゆこ&ヤスが贈る超弩級ラブコメ登場。
いたって普通のラブコメのようだけれど、毎回少し、いやかなり、わたしは驚かされています。こんなに今の10代を鮮明に映し出している作品を、わたしは他に知りません。*1
ここから、アニメを見て今現在10代のわたしが感じたこと、考えたこと、そういったことを書いておきたいと思います。
わたしは、原作はまだ読んでいません。最近まとめ買いをしたけれど、まだ目を通していないんです。あくまで、ここまでアニメを見てきた時点の目線で、書いていこうと思います。後で原作を読んだ上で新しい思いがわくかもしれないのだけれど、それはそれとして、今の思いを書いていこうと思っています。
とは言ったものの、わたしの中だけではうまく言葉にすることが難しかったので、いろいろなブログを引用させていただくことになりますが。
とらドラ!の現実的なところ、違うところ
週末に「とらドラ!」の原作読んだけどよ
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090209/1234169785/(旧y_arim氏ダイアリーE.L.H時代のエントリでした)
どうしてこんなに心の深い部分を正確についてくるんだろう?ということを考えたときに、上記の2つのエントリーがわたしの思いを言葉に、形にするのに、とても重要な部分を担ってくれました。出来れば、一度目を通していただいた方が、この後の話がわかりやすくなると思います。
両方ともに共通して指摘されているのが「オラクルの不在」ということ*2。最初わたしはオラクルの意味がわからなかったので調べてみました。
オラクルとは-wikipedia引用。
預言、神託、託宣。神の言葉。または、それを受け取る人(預言者)、受け取る場所。
きっと今回言われているオラクルは、「登場人物の考えや行動の指標となっている人」といった意味だと思うので、そういった意味として、オラクルを使わせていただきます。これについて、以下に上記のエントリーを引用させていただきます。(強調は引用者)
物語って、普通オラクルがいるわけじゃん。
預言者っていうか、主人公の行動指針を示す役割の人物で、
まあ、ナメック星の長老みたいなもんだけどさ。
独身(30)もあんまり首突っ込まないし、
亜美は、ただのトリックスターだし、
誰もが無根拠に物語進めてるのな。
ちょっと、おじさんには信じられない感じだよ。
でも、それが現代的なのかもなって思った。
とらドラ!は確かにこういう部分がありますね。話を引っ張っていく人がいないというか。しかし、この太字にした部分は、わたしは少しだけ現実とは違うかな、と思っています。*3現代的かどうかは、わたしが今真っ只中にいるのでうまく客観視できませんが、現実にオラクルが存在するかといわれると、わたしはノーと答えるだろうと思います。高校という空間の中に、絶対的なオラクルの存在、というのは確かにいません。が、そのかわりに「オラクルに近いキャラクター」というのが複数存在する、という風に思っています。
現実ではPCや携帯電話といったコミュニケーションツールの普及によって今、自分の物語の中に昔よりも多くの人が関わってくる状況で、オラクルの存在を特定の人の中に見出す、ということがとても難しくなってきていることを実感しています。「誰もが無根拠に物語を進めている」というよりは逆に、「オラクルに近いキャラクターが増えて、自分の中の指針の振れ幅が大きくなっている」ために無根拠に物語が進んでいるように見える、と思われるような気がしています。それは言い換えれば「現代における人間関係の希薄化」につながっているような気がするのです。
また、
「静かに見守ってくれる不変の存在」への強い希求
というのも、物語に多くの人が登場するために「何があってもブレないキャラクター」(とらドラ!ではオリオン座であったりサンタクロースであったりするもの)を求める気持ちは、昔より高まっているような気がします。そして何事にも揺るがないものの存在を求める気持ちは、知らず知らずのうちに「現実の世界で自分を見守ってくれる存在の希求」(=近くで見守ってくれる、揺るがないキャラクターの存在;実乃梨が亜美に求めるもののような)にステップアップして、そのために悩み苦しんでいる人を、わたしはよく見てきました。
今も昔も、オラクルを求める気持ちは変わらないと思います。ただそれが表立って出てこないのが、現代的だと言われる基になっているのかな、と思います。そのことがよく現れていると思うのが、19話の終盤、大河の、竜児の名前を叫びながら号泣するシーンだとわたしは思っているのですが、どうでしょうか。
また、ここまでオラクルとともに何度も「キャラクター」という言葉を使ってきましたが、この単語が、とらドラ!がここまで現実味を帯びた世界になっている1つのキーワードだとわたしは思っているんです。それが簡潔にまとめられているのが以下の文章でしょう。*4
竜児や大河、実乃梨や北村や亜美たちの繰り広げるすべてが、高校というモラトリアムの中のきゃっふきゃっふでしかないことが容赦なく突きつけられていく。
今の高校生活の中で、わたしが一番重要だと思っているのは、「キャラクターの固定」です。事実わたしもとても気をつけていました。そこまで重要視する理由は、高校という限られたスペースで上手く立ち回っていくためにどうしても、「グループ」を意識せざるを得ないからだと思います。
「KY」という流行語に象徴されているように、「キャラクター」が今まで以上に大きな意味を持つようになって、どうしても固定してしまうようになります。そして、その固定されたキャラクターを持って「グループ」を作っていくことになります。このために、「グループ内での役割」というのがとてもはっきりするので、途中で「キャラクターを変える」というのは「今まで居たグループを壊す」、ということと変わりません。だんだん時間が経つにつれて、それは難しいことになっていきました。
このことは、とらドラ!にとてもよく当てはまります。たとえば、亜美は最初に「川嶋亜美」というキャラクターを作っていたし、亜美が、竜児、実乃梨、大河を例えて「パパ役、ママ役、子供役」と言って、それを竜児が亜美に「幼稚なおままごと」と言われても何も変わらないのも、また、生徒会長が馬鹿になれないのも、*5すべてがしっくり来ます。
「キャラクター」が決まってしまっているから、身動きが取れなくなっていく。だから、『竜児や大河、実乃梨や北村や亜美たちの繰り広げるすべてが、高校というモラトリアムの中のきゃっふきゃっふでしかないことが容赦なく突きつけられていく』ことになるんだと、わたしはそんな風に思ったんです。
そういうところ、実際の今の10代のリアルな人間関係が映っているところが、とらドラ!がアニメでありながら現実を映しているような気分になって引き込まれていくんだな、とわたしは感じています。
結局とらドラ!の何が面白いのか考えた
そんな現実的な、辛くなるようなアニメなら見なきゃいいのに、と言われそうですが、わたしが思うに、それでもとらドラ!が面白いのは、
- 現実的な部分とそうでない部分のギャップの大きさ
- すべてを「学校内」「グループ内」という空間に凝縮していること
だと思ったんです。
ひとつは、上に書いたような、とてもリアルな部分も描かれているのに対して、その逆の部分、たとえば、大河の部屋の、あのなんとも言えないいたたまれなくなる感じだったり、たとえば、文化祭で「プロレスショー(ガチ!)」をやってたりキャンプファイヤーやってたり、クリスマスパーティー開いてたり、そんな風な、全然普段にはないようなかけ離れたことをやっていて、ちょうど現実的な部分とうまく混ざり合って中和されているような、現実的な部分に入り込み過ぎないように、ちょうどいい距離を保ってくれているからかな?と思うんです。
もうひとつは、他の部分はあまり描かれることがなくて、ほとんどすべてが学校という空間、あるいは主人公である5人のグループ内だけで進んでいることが、その密度が、いいのかなあと思ったりもしています。でも、みんなあちこち行ってしまっていたらアニメにならないと思うので、どうなのかなぁ…とも思いますが。
まとめ
全然まとまらなかったし、まだ思ってはいるんだけれど言葉にしてアウトプットできないものがあるもどかしさを感じています。内容に関しては、自分のためのメモ書きみたいなものでもあるので、大変お粗末なものになってしまいました。
「ここ全然違うんですけど」とか「分かってねえな分かってねえよ」なところがあれば、言っていただけると幸いです。
最後に、思いを言葉にするために力を貸していただき、かつ勝手に引用までさせていただいた、y_arimさん、そして匿名ダイアリーの増田さん、本当にありがとうございました。
かしこ