独自色を出すということ


ここ最近いろんな人と会って話したり、本を読んだり音楽を聴いたりしている内に、だんだんとなにかよくわからない「もやもや」みたいなものが心に溜まっていくのを感じていて、その原因はなんだろう?と思っていたんです。

それをうんうん考えて、なんとなくそれが「独自色」という単語につながっているのに気付きました。


たとえば、わたしがこのブログで書いた、10代がとらドラ!について感じたことを書いてみた - 3LDS -Love,Like,Life!! Diary@SmiLey!- は、「わたしだから」書けたエントリとして、今でもなんとなく、わたしの心の中に残っています。だけれど、この記事を読む側の人にとって、書いているのがわたしだというのはどうだっていいと思うんです。あくまでも、「とらドラ!という作品の一考察」として読まれていると思うんです。

もちろん、そんな類のものが膨大にあるわけなので、いちいち「この人が書いたもの」というのを見て行くのはほとんど不可能だというのはよくわかっているつもりです。わたし自身も、普段何かについて調べているときに、「この人が書いた」というのを意識したりはしないです。


ふとした瞬間に「これはこの人のものだ」と思う


たとえば、これはニコニコ動画で、VOCALOIDを使った音楽を聴いていたりしているとよく感じることなんですが、自分が好きでよく聴いている人の知らない曲を、誰が創ったかわからない状態で聴いたりすると「ああこれはあの人の曲だなあ」と思って調べると、本当にその通りだったりすることがあります。それは好きだからなんとなくわかる、というのもあるのかもしれませんが、きっとそれは、その人にある癖みたいなもの、その人が持っている色みたいなものを感じ取っているんじゃないかな、ということを、強く意識することがありました。

そういうことがあって、いろいろ思い返していると、わたしは昔からそういう「独自色」みたいなものに強く惹きつけられているみたいだということに気付きました。

小説とかで言うと、よしもとばななさん、山本文緒さん、三崎亜記さんとかが好きで、音楽でいうとaikoさんや椎名林檎嬢、クラムボンとか。ブログなんかは、朝倉なんとかちゃん、ヘボメガネ氏、コトリコさんとか。それぞれに共通しているのが、「独自色」だと思うんです。


自分だけの色を作りたいと思うこと


色を作る、というと少し大げさな気もしますし、もしかすると、あるそのものを見たり聴いたりしていると、自分だけに見える「その人の色」みたいな、勝手にこっち側がそういう風に感じているだけなのかも知れません。それでもわたしは、いろんな人がこのブログをふと見たときに、「ああこれはあの人が書いたんだな」って思えるような、そんな一本筋が通っているような、揺るがない根幹を持っていたいです。

やっぱり、底辺にちゃんとした自分の根っこがあるほど、伸びた後に自分だけの花の色を見つけられるのかな、と思います。


かしこ