大好きなついったらーがいた話。


わたしがついったーを使い出してから半年くらい経ちました。これはまるまるわたしがPCを使い出したのとかぶるので、ついったーはちょうどわたしのオンライン行動履歴になりますね。半年でかなりいろいろなことをやって、いろいろなものに影響を受けて、だいたいそれはついったーを経由していたり、あるいはついったーが引き金になっていたりとすごい寄り添ってくるのでわたしはよしよしいい子だねってtweenを可愛がったりしてるんですがそんなことはどうでもいいですね。

今これを書いている瞬間でもついったーでは何かしらのことが盛り上がっていて、みんなが楽しそうに@送りあってたり、なう!ってどこかにいながら面白いものを見せてくれてたり、変態発言をしてたりして楽しんでると思うし、書いている今でもなんか横にtweenが起動してて恥ずかしそうに「ポッ///」とか言うので気になって仕方がないくらいには中毒になってるんですがそんなこともどうでもいいですね。

本題に戻ります。

わたしには大好きなついったらーがいました。その人はわたしががtwitterを始めて1週間経ったか経ってないかくらいで10人フォローしてるかしてないかくらいで、まだ@発言がフォローしてなくても見えた時に、1人のフォロワーさんの@でたまたま気になったIDで、わたしは直感で同じものが好きな人だと思ってフォローしました。その勘は当たっていて、わたしはとても嬉しかったのを覚えています。そしてそのフォローした数時間後に、わたしはその人の声を聞くことになります。それがustreamとの出会いでした。

そして、その人をきっかけにわたしはtwitterに溶け込むようになっていき、自分でustreamをやるようになったり、@も送るようになって、わたしもついったーを使うようになっていきました。ついったーを始めて1ヶ月くらいの話です。今のついったーの使い方の原型が出来たのがこのころです。このブログの方向性というか書きたいことというのも、大きく方向転換して変わっていき、文章にわたし自身の型みたいなものが出来始めたのもこの頃で、「読まれる文章」を意識しだして自分の中でも変化を感じられるようになっていきました。誕生日をustreamで祝ってもらったりもしました。とにかく、楽しい時間だったし、わたしはとても恵まれているなあとも思いました。そして、その人にとても憧れを抱いていました。

それが変わっていったのがいつからだったのか、変わらないものはないのでわたしが気づかなかっただけなんだろうけれど、わたしがそうやって幸せな気分にいる間にもきっと事は動いていて、はっとしたときにはもう元には戻れなくなっているようでした。

その人は、今はもうtwitterにはいません。

いろいろと、ほんとうにいろいろな事が重なって、いることにどうしても耐えられなかったみたいです。みたい、とか書いていますが、実際のところは聞いていないのでどうだかわかりません。もうその人はいない、という至極シンプルな事実だけがあるので、それ以外は関係のないことだと思います。

わたしは、その人からたくさんのものを教えて貰って、今ではそれなしにはいかないこともたくさんあります。もちろん、そういう使うものだけでなく、言葉だとかそういったものも心に留めてあるし、数限りない思い出だらけです。

その人がいないわたしのTLは今日もいつもと同じように流れ続けているし、わたしも新しくフォローしたりフォローされたりしていますが、その人がいない穴は埋まらずに、今もtweenの一番先頭のタブの振り分けルールの一番上にIDが残っています。

そんな人に出会えたことはわたしにとって、ついったーをやっていてよかった事の1つだし、大きく言えばインターネット使い出してよかった事の、最も早く上げられる要素の1つです。わたしの目指す最終地点にはその人がいるような気がします。そのためにも、わたしはこうやってなにかを書き続けるだろうし、やり続けると思います。それはきっと変わらないでしょう。1つだけ悔しいのは、もうその人はいないので追いつけないということです。何を持ってして追いつくとか言えるのかはわかりませんが、その人はわたしの憧れであり続けるということが、なんとなく悔しいです。そして何かをやればやるほど遠くに見えてしまうので、わたしはとにかくやるしかなくなってしまいました。

そんな少し切ない事があってからもういくらか経ちますが、そろそろわたしもわたしのやり方で何かを発信できたらいいなという気持ちが湧いてきたので、けじめ的な意味で書きました。今までありがとうございます。縁があったらまたどこかで。


かしこ