水に流したくないものもある


最近ちょっと、体調がよくないです。いや、体がどうとかっていう訳ではなくて、確かに風邪っぽい感じがここ1ヶ月くらい続いててプラス花粉症なのでよくないのは確かなんですけど、それよりも心の持ちがとてもよくありません。

なんだか、全部が流れていってしまうような感覚、というか以前までやっていたモノだとか言葉だとかの受け取り方が出来なくなってしまっていて、うまく取り込めなくなっているのかな、と思うんですけど、頭ではなんとなく、(ああそういう時期にかかっているのかな)っていうことはすごくよくわかるんですけど、なんだろう、うまく言葉に出来ないですが、心のコップが下向きなんです。うん。

なんにも、入らないんですよ。それどころか自分から今までためていたいいことをどんどん排水溝に流しちゃっているような、そんな感覚。で、下を向いてるコップの上からどんどん水が流れてくるんです。そしたらだんだん外側だけが綺麗になっていくんですよ。中にはなんにも残ってないのに、外見だけがよくなっていってて、誰もわからないんだけど、自分の内側だけで、(なんかおかしい)っていうのが広がっていくんです。

きっとこうなってしまう前から、少しづつ水は流れていっていたんだと思うのだけど、それが「いつから」だとか「どうして」だとか、全然わからないんですね。気づいたら、ここまで来ちゃっていたんです。そういう時、いままでも何回かあったはずなんだけど、どうしたかは覚えていないんですよ。そういう感じで、どんどんどつぼにはまっていくんですね、きっと。

そんなことになった今になって、選択できることって2つくらいしかないような気がするんです。「諦める」か「考える」か。

「諦める」も「考える」も、きっと行き着く先に見えるものって同じような気がするんです、こんな状態のときって。はまっている間は、うまくやりすごせるのがいいんだと思いますし。でも、そうしていられないからはまるんだとも思うんですけどね。

で、「考える」時も、(なんではまったんだろう)、って考えるときっとどこかでそれを「諦める」んですよ。答えがないから。だから、こう考えることにしようと、ふと思ったんですね。

『わたしはわたしを、どこで「諦めた」?』と。

そういう状態になるときって、たいてい、(これは出来ない)とか(あれは無理だ)とか、そういうちょっとした、自分の中にあるいくらかだけある自信とか誇りとか、そういったものが欠けていってそうなるのかな、と思うんですよ。それはきっと、生きていることの中でとても大事な事だったりすると思うんです。

一度失ってしまったものを取り戻すことはきっと出来ないんだろうけど、その代わりになるピースさえ与えてあげることができたら、少しくらいは、救われるんじゃないかな、って。だから、「諦めた」瞬間をもし、見つけることができたなら、それが新しい一滴になって、また水を注いであげられるのかな、って思いました。

そうしたらきっと、今の状態だって、悪くないことだったと思えるようになるかもしれません。だって、あたらしく注いでいくコップはとっても、綺麗になっているんですから。


かしこ