「悩む」のと「考える」のは違うこと


毎日いろんなことをしていると、新しいことがどんどん入ってきて、自分の中の奥のほうの何かが揺るぎそうになったりすることがあったりします。

そういう時、わたしはたいてい「悩む」ことを今までやってきました。できるだけ、自分の中の大事なところを動かしたくなくて、揺らぐことをうまく消化するためにはどうしたらいいか、ものすごく「悩んで」いました。

それが、最も重要なことだと思っていたんです。でも最近になって、それってなんか違うんじゃないかな?と思うようになりました。

それは、どうもうまく消化できなくなったことがあって、自分の中に澱みのようなものがずっとあって、まとわりついて離れなくなったときに、「あれ、なんか違うな」って思ったんです。

「悩む」ということは、それこそ立ち止まっている状態を言うんだと思うんです。その場で動くことなく、ただそこでずっとなにかを待ってるような感じ。たまには、そこに誰かが救ってくれることもあるかもしれないですが、自分の奥の奥の奥にあることってそう簡単に救われないことだと思うんです。

そんな時、「考える」ことをしてみようかな、と。「悩む」じゃなく「考える」。歩きながら、というようなイメージで。消化できてもできなくても、それは自分の中にすでにあって消えないものだから、一緒に歩いていく途中で、見える瞬間があるんじゃないかな、って。

「こうすればよかったんだ」とか「ああいうふうにやればうまくいったんだ」とか、そういうことが、「悩む」の中だと見えない気がするんです。どうしても前向き、プラスのイメージじゃない。「考える」の中には、常に「次になにかあったときにどうすればいいか」というのが含まれていると思うんです。「悩む」だと、「どうしてこうなってしまったんだろう」がくるくる回っていて、先に進めないような。

だから「考える」。そのことが頭の片隅にでもあれば、きっと立ち止まる回数も少なくなると、わたしは思うんです。