フリースタイルなブログを書くこと


ついこの間、ブログのスタイルをあえて決めないということ - 3LDS -Love,Like,Life!! Diary@SmiLey!-というエントリーを書きました。ただ、言葉にしてみるっていうのはとても難しくて、なかなかもどかしい思いをしていました。それで、今日たまたまネットを見ていたら、すごくタイムリーな言葉に出会いました。


“カップを役立てようと思ったら、まずカップの中が空でなくてはならない。

心も同じことだ、一定の形式は自由を妨げ、創造性を押しつぶす、だから固執してはならない。

水のようになれば、「一定の形式、スタイル、システム、型」にとらわれることなく、

自由な想像や表現が可能になる。

あらゆる「形」に固執しないことで、あらゆる状況に順応した「形」を自然に創造することができるのだ。

水はカップにそそげばその容れものの形になり、ティーポットにそそげばティーポットの形になる。

水は流れたり、忍び寄ったり、したたり落ちたり、砕けたり、時に大雨、洪水、津波・・・

どんな形にもなれる柔軟性を持ち合わせている。

固定観念にとらわれると人の言うことを素直に聞き入れなくなる。

それはすなわち海の心に触れることができないということに他ならない。

心を空っぽにするんだ、形式にとらわれず、水のように形をもたない。

友よ、水になるんだ。”

現実には、キャラクターにとらわれて、思っていても出来ないことがあったり、言えないことがあったり、いろいろな物が邪魔をしていることがとても多いです。ブログも同じで、見られている感覚があると、どうしても書けないことがあったりします。「読み手の人による自分のキャラクター」を気にして、書きたいことを書けないこともあったりします。

でも、そういうのを気にして書きたくない。あくまでもブログは、自分の日記だからです。キャラクターを固定されてしまいたくない。自分でも固定したくない。だから何でも書く。とにかく書く。書く書く書く。そうしたら、自分でも気づかなかった新しい自分のキャラクターが見つかるかもしれない。そうしていたら、もしかしたら、読んでくれている人が新しい自分のキャラクターを見つけてくれるかもしれない。それを面白く思ってもらえたら、それはとてもうれしいことです。

わたしの感覚として、ブログは「なにがしかの縁あって自分の心や思い出を見てくれている」という感じ。どうやっても、人に向けて何かを書くことに向かない気がしています。

水のように。形を、スタイルを決めないで、すべてを受け容れていく容量を。フリースタイルを通して見える自分が、これからも楽しみで仕方ありません。


かしこ