ブログを書くことの目的


最近、少しブログを書くことを躊躇っていた。それは現実にもいろいろあったせいでもあるし、一時期にアクセスが急増して戸惑ったということもある。とにかく、書く内容がまとまりきらずにボツにしてしまったことが数日続いていた。簡単に言うと、人に見られるということを意識しすぎていた。


この数日はわたしがブログを始めた本来の目的を忘れてしまっていたことに始まっているのを、この数日間は思い出させてくれる時間だったと、つくづく思う。


わたしが書き始めた理由は、きっと過去エントリーにも書いたことはあるはずなのだが、わたしは「思い出」を記憶することがすごく苦手で、1年以上前の楽しかったことやどこかに行った記憶や、そんなことをほとんど覚えていない。そのかわりに「知識」として頭に入れたことは何年経っても覚えているので、たとえば中学の同級生の名前は覚えていても、顔とか、仲がよかった悪かったのか、どんな人だったのかを覚えていないから、偶然会ったとしても全く気づかないし、話題に上がったとしてもついていけない。

これはわたしが育った環境に大きく影響を受けている。


そんな自分のあやふやな記憶をつなぎとめて、思い出せるきっかけにしたかったから、書き始めたのだ。


ブログが紙の媒体でなくインターネットという空間にあったことも、1つの大きな理由として挙げられると思う。


わたしが刺激を受けるものの大半は本だったり音楽だったり、五感の内の目と耳に入ってくるものだ。それはきっと、わたしがあまり目も耳も良くなく、特に耳のほうは相当悪いために、聴力がなくなるのではないかという不安がいつもあったので音から得る情報を無意識のうちに重視していたのだと思う。今は心配するほどではなくなったのだけれど。

そういう環境の中で、目と耳をフルに使って記憶を留めておくのに、紙という媒体では少し表現の仕方に限界があるように感じていた。インターネットはそんなわたしにとって、理想的な環境を作り出していたので、紙の日記ではなくブログを選んだ。


いろんな情報が飛び交うここで飛躍的に、取捨選択しても情報量が絶えず増え続ける状況で、わたしが刺激を受けることはとても多くなっていった。はじめは思い出の記憶のために始めたものが、だんだんと変化していくのに、わたしは気づくことができなかった。


もちろん、今の状況に苦しんでいるわけではなくて、とても楽しいことだと思っている。どんどん自分の感覚が磨かれていくのがわかっていく。

ただ、それに流されて本来の目的を忘れてしまっては何にもならない。人に見られるというのを前提にして書いて、記憶があやふやになればここの存在価値はなくなってしまう。


コメントをもらえれば嬉しい、スターも嬉しい。わたしのエントリーが誰かのためになれば、それはすごく嬉しいことだ。でも、それはおまけみたいなもの。そのために、本来の目的を忘れてしまうようなことは、何よりもわたしのためにならないことを、改めて実感した。


実はこのエントリもある人のブログを読んではっとしたので書いている。そうやって、誰かのためになっていくものを記憶とともに残していければいいな。


かしこ