さよならgood bye


“本物よりもキレイなコトバ

本物よりもキレイなウソ”



あいされつづけたいしあいしつづけたい。

漢字で書かないのは、意味を持たせてしまえるほどコトバに自信を持つことができないから。

本当に、そう願ってるはずなのに、素直に受け入れられるキャパシティを持ち合わせていない。


でも、唯一と言っていいと思う、素直に受け入れられる瞬間があると思うようにしている。

「なにかが終わる時」



たとえば、好きなひとの命。

好きなひとがいなくなる。

この世界に存在しなくなる。

その時、すべてのそのひととの時間は『過去』と名付けられて、自分の頭のなかのメモリーだけで再生できる、曖昧なモノになる。

時間が経って、曖昧になればなっていくほど、そのひとの、その時のコトバが、再生される度にキレイに、キレイになっていく。

そのコトバが、たとえウソであったとしても。


その時、自分はあいされていてあいしていたと、感じられる。



それはコトバが言葉になる瞬間、なのかな。意味を持って、受け止めて。

それはたいてい、目の前にいなくなってからだ。